大阪城・道頓堀コース
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住所 大阪市浪速区湊町1-3-1
大黒橋
木津の大黒神社への参道にあたるところから名付けられたといわれる「大黒橋」。古くは「難波(なんば)橋」と呼ばれており、初めて橋が架けられたのは、1615年(元和元)に道頓堀川が開削されて間もない頃だそうです。
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住所 大阪市中央区西心斎橋2丁目~大阪市中央区道頓堀2丁目
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戎橋
観光客に人気が高く、一日中多くの人で賑わう、大阪・ミナミを代表する橋「戎橋」。橋名は、今宮戎神社の参詣道にあたることから名付けられたとも、毎年お正月にこの地で西宮戎神社の神像をたてて信仰を広めたことによるともいわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。現在の戎橋は、老朽化を理由に2007年に建て替えが行われ、中央部分に円形の広場や川沿いの遊歩道へ続くスロープなどが設けられました。
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住所 大阪市中央区心斎橋筋2丁目~大阪市中央区道頓堀1丁目
グリコの看板
大阪の顔の一つである「グリコの看板」。現在の看板は5代目で、2002年はW杯、2003年は阪神タイガース、2007年は世界陸上のユニフォームに衣替えして大阪の街を応援しました。夜にはネオンが灯り、賑やかな道頓堀界隈の中でもひときわ目立つ看板です。
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住所 大阪市中央区道頓堀1
ドン・キホーテのえびすタワー
2005年春に道頓堀川沿いに登場したドン・キホーテ道頓堀店の観覧車。世界初の楕円軌道の観覧車で、1周約15分。晴れていれば明石海峡大橋まで望むことができます。
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住所 大阪市中央区宗右衛門町7-13
相合橋
南側の芝居町と北側の遊女町を結ぶ艶なる橋ということから呼ばれるようになった「相合橋」。しかしこの橋は、なぜか渡ると男女の縁が切れる“縁切り橋”といわれ、遊里の人々は橋を渡るのを嫌いました。婚礼の行列は絶対にこの橋を渡らなかったのだそうです。
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住所 大阪市中央区宗右衛門町~大阪市中央区道頓堀1丁目
日本橋
江戸時代、公儀橋のひとつであった「日本橋」。水陸交通、経済・軍事において重要な交通路であった日本橋は、紀州街道の道筋として、紀州藩や岸和田藩の参勤交代道としても使われていました。東京にも同じ漢字の橋がありますが、東京は「にほんばし」、大阪は「にっぽんばし」と言います。
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住所 大阪市中央区島之内2丁目~大阪市中央区道頓堀1丁目
末吉橋
代々の廻船問屋から手を広げ、鋳銭や鉱山の発掘で財を築いたといわれる末吉家の16代目・孫左衛門。この末吉孫左衛門の別宅が東横堀川に沿ってあり、屋敷の前から東へ向かうのに便利なようにと架けられた自費橋が「末吉橋」です。かつては設置者の名をとって、「孫左衛門橋」とも呼ばれていました。
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住所 大阪市中央区
本町橋
「本町橋」という名の橋が架けられたのは豊臣秀吉の時代。江戸時代の橋は、木綿太物の問屋が集まる本町通と大坂城をつなぐ橋として、幕府直轄の公儀橋の一つでした。現在の橋は1913年(大正2)に架けられ、1982年(昭和57)に改修された、大阪市内で現存する最も古い橋です。
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住所 大阪市中央区本町1丁目~大阪市中央区内本町橋詰町
東横堀川水門
東横堀川に架かる高麗橋と平野橋の間にある「東横堀川水門」。東横堀川と道頓堀川にある東横堀川水門と道頓堀川水門によってこの水域の水位を一定に保っているそうで、ここを通過する際、実際に水門の仕組み(動き)を見ることができます。
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住所 大阪市中央区高麗橋1丁目
高麗橋
高麗橋は、朝鮮からの使節を迎えるために架けられたという由緒ある公儀橋の一つ。昔から擬宝珠(ぎぼし)のついた立派な橋でした。現在の橋は昭和4年に架けられた鉄筋コンクリートのアーチ橋で、江戸時代に橋の西詰めにあった櫓屋敷にちなみ、高欄にそれを模した飾灯があります。
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住所 大阪市中央区
今橋
昔、海岸べりだった北浜に人家が建ち始め、京橋町との交通が不便だったことから架けられた橋が今橋です。橋名は、元和から寛永年間に、「今あらたに架けた橋」というところから名付けられたのだそうです。この橋から西の町名に今橋1丁目から5丁目がありますが、その町名は江戸時代から続いています。
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住所 大阪市中央区今橋1丁目~大阪市中央区北浜東
中之島公園
1891年、大阪市内の公園第1号として誕生した英国庭園スタイルの都市公園。”ライオン橋”の名で親しまれている難波橋から東側にはバラ園があり、シーズンになると89品種、4000株のバラが美しく咲き誇ります。
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住所 大阪市北区中之島
天神橋
江戸時代に公儀橋として架けられ、天満橋・難波橋とともに「浪華の三大橋」として親しまれてきた「天神橋」。その昔、天満天神社が管理したことからこの名前が付けられました。現在の橋は、松屋町筋の拡張にあわせて1934年(昭和9)に架け替えられたものです。
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住所 大阪市北区天神橋1丁目~大阪市中央区北浜東
八軒家浜船着場
2008年春、大阪・天満橋に3隻の船を同時に係留することができる水上交通ターミナルが誕生しました。水上バス「アクアmini」ののりば・おりばではありませんが、江戸時代の発着場であったところを水上から眺めることができます。
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住所 大阪市中央区天満橋京町1-1
天満橋
江戸時代、天満橋は幕府が直接管理していた公儀橋で、天神橋・難波橋とともに「浪華の三大橋」と呼ばれ親しまれてきた橋でした。高欄擬宝珠(こうらんぎぼし)があり、壮観な姿をした橋であったと伝えられています。現在の天満橋は、1935年(昭和10)に架設されたもので、京橋一丁目と天満一丁目にまたがって架かっています。
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住所 大阪市北区天満1丁目~大阪市中央区大手町1丁目
新鴫野橋
江戸時代、公儀橋であった「鴫野橋」の架かっていたところとほぼ同じ位置に架けられている「新鴫野橋」。「鴫野橋」は、江戸時代は大阪城内にあり、明治時代は軍の施設となったため、一般の人々の利用はできませんでした。現在の橋は、大阪府の河川改修事業の一環として工事が行われ、1988年(昭和63)に橋が架けられたものです。
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住所 大阪市中央区大阪城~大阪市中央区城見1丁目
大阪城
豊臣秀吉は、全国統一の本拠地を大坂と定め、石山本願寺の跡に築城したのが大坂城です。当時の城域は現在の4~5倍と広大なものでしたが、1615年(慶長20)の大坂夏の陣による豊臣家の滅亡とともに、大坂城はすべて焼失してしまいました。現在の大阪城は、江戸時代に入って徳川幕府によって再建されたものです。ちなみに天守閣については1665年(寛文5)の落雷によって再び焼失してしまい、現在の天守閣は1931年(昭和6)築の3代目になります。
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住所 大阪市中央区大阪城
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湊町リバープレイス
ダイヤモンドのような形が特徴の「湊町リバープレイス」。1500名収容でき、本格的なプロ仕様の最新システムを装備するライヴホール「なんばHatch」や「fm osaka」、カフェ、レストランなどが入った複合施設です。湊町リバープレイスへは、なんばの地下街を通って行けます。