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住所 | 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31 |
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アクセス | ・JR「鎌倉駅」東口から徒歩約10分 ・江の島電鉄「鎌倉駅」徒歩約10分 |
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平安時代前期、奥州征伐を命ぜられた源頼義が、京都・石清水八幡宮で戦勝祈願。
そのご利益を授かり勝利を収めたことから、康平6年(1063)に鎌倉の由比郷鶴岡(現在の由比若宮[元八幡])に石清水八幡宮の分霊を勧請し、祀ったのが鶴岡八幡宮のはじまり。その鶴岡八幡宮を源頼朝が現在地に社殿を建立し、遷座しました。
以降、鎌倉の中心となり信仰を集めています。
実在が有力視される中では最古の天皇。
応神天皇の実母。
宗像三女神とも応神天皇の妃とも言われる女神。諸説あり、謎の多い神様です。
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平家に敗れ、伊豆に流された頼朝公と恋に落ちた北条政子。
政子の父・時政は、平氏の一門・山木兼隆に嫁がせようとしますが、政子は婚礼の夜に抜け出し、雨の中頼朝公のもとへ走った、大変芯の強い女性です。
頼朝公亡き後は夫の遺志を継ぎ、実験を掌握。「尼将軍」と呼ばれました。
源義経の恋人。
静御前は、足の頼朝公と対立し反逆者となった義経公と泣く泣く吉野山で別れますが、その後役人に捕らえられ鎌倉に送られました。義経の行方を聞かれるも「知らぬ。」と一切語ることはありませんでした。
さらに白拍子である静御前に舞を踊るよう強要されると、義経公への想いを舞ったため頼朝公は激怒。しかし同じ女性として静御前の女心がわかると政子のとりなしにより事なきを得ました。
鶴岡八幡宮には、御祭神のご神徳により様々なご利益のお守りがあります。
その中から、縁結びや幸せのご利益が授かるお守りを紹介します。
義経公への一途な愛を貫いた静御前。頼朝公に舞を舞うよう命ぜられた際も、「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」と義経公への思いを舞いました。
その歌を基にした縁結びのお守りが「縁結守」です。
御神紋の鶴丸を映る鏡を配した「美心守」。
「美しい心に神様は寄り添う」ということから、美しい心が持てるように!そして身にも心にもしあわせが宿るようにと祈願されたお守りです。
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鶴岡八幡宮の境内、源氏池に浮かぶ中の島にある旗上弁財天社(はたあげべんざいてんしゃ)の裏に置かれた霊石。源頼朝公が妻の北条政子の安産を祈ったとされる石で「政子(まさこ)石」と呼ばれています。
この石は古来より縁結びの霊験があり、夫婦円満の祈願石と信仰されてきた霊石で、別名「姫石」とも呼ばれています。